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November 23, 2004

ネコ式お気楽食事 勤労感謝の日

勤労感謝の日に寄せて。働いた人の健康のために
働いた人は、ごほうびに、「ごちそう」 から始まって、 「栄養どりんく」 までいろいろな感謝のされかたがありますよね。
でも、ネコ式お気楽食事としては、 ごほうびに何かをするのではなくて、何かをしないことを、オススメするのがたてまえです。

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November 19, 2004

ネコ式お気楽食事 むぎごはん

むぎごはんを美味しく炊く方法。

麦を先に洗って、水につけておきます。 少なくとも半日くらい。 それから、洗ったコメと一緒にして、 3時間以上、水につけておきます。 それから炊くと、 麦がメリケン粉臭くなりません。

水につけても、冷蔵庫に入れておけば、一日間をおいても、へいちゃらです。

愛猫ミャーゴ君が、
 「そりゃ君だけが、うまくいっているのかもよ。 知らないよ」
と言ってます。 だからうまくいかなくてもゴメンネ。

追伸、
今日は長くなってごめんね。
麦ご飯食べていれば、体が中から綺麗になる感じ。
繊維が不足気味という人に大改善です。 生野菜ぱりぱりより、食べやすいです。

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November 17, 2004

ネコ式お気楽食事 朝食はフルーツで

ヤングビジネスマンの80パーセントは朝食抜き。
朝食は、「取るべきか、取らざるべきか」なんて考えないで、バナナの一本もかじって出発しよう。

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November 13, 2004

トマシーナ

トマシーナ

トマシーナ ポール・ギャリコ

 トマシーナか、ジェニーを先に読んでいたら。作者ポール・ギャリコが映画「ポセイドン・アドベンチャー」の原作者と同じ名前でも、同一人物とは、すぐに想像しなかったことでしょう。

 それはともかく、このトマシーナは前作の「ジェニー」と違って、少女の物語です。話の基本が、冒険から、愛情物語になっていて、「ジェニー」とはまったく違う作品なのです。この二つの物語は、どうしても別々に存在する必要がありました。

 主人猫公は、自分を「ジェニー」の姪御さんと称しています。またジェニーの後の作品ですが、決して、「ジェニー その2」ではないのです。

 少年は、社会を担い、少女は命をはぐくむ。もちろん大人になってからです。だから、少年は大人になる条件として、旅をし、そこで冒険をし、そして生還しなければならない。(神話学者ジェームズ・キャンベル)

 もちろん女性は、そんな旅をする必要はない。

 少女メアリ・ルーのパパは獣医さん。これが動物嫌いという。とんでもない嫌な性格の男。飼い主から、どんなにか愛されている犬や猫でも、すぐに安楽死させてしまう。その冷たさは、彼の心ない父親から育まれたもの。

 大体、父親という人種の中は、深く傷ついていて、それで子供にあたる残酷な人はいるもの。メアリ・ルーの父親が、残酷な決断を平気でするのは、平気で美女を血祭りにあげる、吸血鬼に似ている。父親の冷たい仕打ちが、吸血鬼の毒血を飲んだものが、「感染して」また吸血鬼になっていく、そんな経過に似ています。

 私は、この冷たい父親の、ことを妙に、共感できちゃうのです。(何故かは聞かないで)そんな冷たいメアリ・ルーのパパにも、心の洗われる様な、めくるめく幸せな時がありました。それは美しくて幸せな妻がいた時。チップス先生(「チップス先生さようなら」ヒルトン著)が48歳のときに射止めた、愛すべき女性がチップス先生の、寒々とした学寮生活を美しく輝くものに変えたように。チップ先生の物語を、灰色から、ラベンダー色に変えたように。


 でも、その彼の明るく優しい妻、メアリ・ルーの大事な庇護者であるママは、まだ幼いメアリ・ルーを残して逝ってしまう。患者(患畜)である、オームの病気がうつったせいで、あっけなく死んでしまうのです。

 メアリ・ルーのパパは、妻がいなくなり、悪い方向に性格を変えます。彼の父親から受け継いだ、というか教え込まれた残酷な性格が、表面に浮かびだしたのです。その上、メアリ・ルーに対する強い独占愛。メアリ・ルーが愛するもの全てに、ひどい嫉妬をする。など、メアリ・ルーにとっては、とても困った事態でした。

 でも、そんな7歳の娘には、トマシーナという愛猫がいました。トマシーナには、猫族として、メアリ・ルーの自分に向けられたでき愛は、ちょっと迷惑でした。それでも、トマシーナはメアリ・ルーの魅力に強く引かれていたので、家から逃げ出さないでいました。

 猫のトマシーナは、作者によって「主人公」の地位を得ているのに、物語の始めの方で、さっさと、メアリ・ルーの残酷な父親によって殺されてしまうのです。


物語について

 でも、カエルの足の怪我を心配する少年とのかかわり。その少年と、「魔法」を使える、魔女が登場。となれば、おのずと、単なるシリアスな家庭劇に終わらないことは、期待できますよね。

 総じて甘いファンタジーの中に、真実の人生模様を、清らかに、時に残酷に織り込んだ、そんな名作です。

トマシーナ創元推理文庫


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November 09, 2004

ジェニー

ジェニー

 1950年 ポール・ギャリコ著

 少年の旅立ち。大人への仲間入りしたての少年の、戸惑いと、冒険。そんなお話です。

 ロンドンの上流家庭の住宅街。 それは今の日本の普通の住宅街の一軒屋とはおもむきが違います。 BBC放送の「シャーロック・ホームズの冒険」に出てくる、ハドソン夫人所有の借家ベイカー街221Bがイメージに合うと思います。 家の玄関の戸を開くと、そこは大通りの歩道、という感じです。

 ピーター少年は、乳離れしています。 母親はすでに少年をかまってくれなくなっていて、家庭教師のようなおばあさんが、少年の養育係のように、少年の世話をしてくれています。

 ピーター少年は、大のネコ好きだが、このおばあさんは、大のネコ嫌い。スコットランド人という設定で、おばあさんの頑固さが表現されています。 両親も、少年の面倒を良く見てくれるこのおばあさんが便利な存在なので、おばあさんの肩をもってネコを家に入れようとしない。少年は、ときどきネコを拾ってくるが、おばあさんが見つけては、玄関からたたき出す、ということが日常繰り返されています。

 そんなある日、通りの向かい側の公園で可愛いネコが遊んでいるのを見たピーター少年が、ネコのいる方へ行こうと道に飛び出したとき、石炭トラックにはねられ、家に担ぎこまれました。 少年がふと気がつくと、いつの間にか、自分がネコに変身していることに気がつくのです。

 少年は、ネコと間違えられて、おばあさんに追い出され、それから、少年の突然の冒険の始まりとなります。

 ただの少年冒険と独立という見方ではないようです。 ネコの姿になってしまったから、無理やり独立してやっていかなければならなくなったのです。

 普通の少年の旅立ちなら、大人になる旅ですから、もう二度と後戻りは出来ないのですが、 この物語のピーター少年の場合は人間の姿に戻れれば、また快適な少年のあたたかい生活が戻ってくるはずです。

 しかし、当の少年ピーターにとって見れば、そんな保証をもらったわけでもなく、今が今、ネコの姿をしている間、生き延びなければなりません。 保護者のいない少年にとって、世の中は、物語の時代も今の時代でも生きるのはきびしいです。

 まして、もっと小さくて、人権も無いネコなら、そのきびしさは。 ポールギャリコの観察はするどく、読者も、野良猫がのんびりした人生ならぬ猫生を送れるどころか、ちょっとした過ちが即、死につながる冒険の連続なのです。それが、作者の忠実な写実の中に説得力を持って描かれています。

 これが、家に戻れば、その時点で直ちに、冒険の終了。冒険の参加者たちの、
 「良い思い出になった」
 で終わる普通の少年少女の冒険談とは一線を画する設定なのです。 そして、主人公は、猫族としてやっていけるという自信をつけはじめた時、・・・・・・。

 そして、ジェニーは・・・・。 愛するものの喪失という、どうしょうもない、思いを、ピーター少年は若すぎる幼児時代に、味わうのでしょうか。

 子供の読者も、昔子供だった読者も、生き物、人、を深く愛することの難しさ、 人生の、新たな喜びを享受する、すべ、というものを、この作品は教えてくれるかも。

 猫族の習性。猫の行動と、その思いというものが、正確な観察と、きめ細かな描写で、さまざまなエピソードの中で語られていきます。 猫の形を借りて、人間の冒険談をオムニバス風に描いたものではありません。 この物語は、あくまで、現実感のある猫そのものの冒険です。

 猫の考えを理解するうえでも、必見の書です。


ポール・ギャリコ
1897年-1976年
ジェニィ新潮文庫

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